変わる決意と変わるための準備
昨日、「変わる決意」をしました。
私の気持ちはもう来年に向いています。
今年までのことは今年で終わりにして、来年からの準備を今から始めたい。
私は今まで、何か(時間や仕事や家庭の用事)に追われていたり、何か(運やお金や人)が来るのを待っていたりしました。
だけれども、もうそれはやめようと思います。
気づけば40代、そして今月41歳になり、もう立派な中年。ミドルエイジです。
人生100年時代と言われているけれど、私は正直それほど長生きはしなくても良い。長生きはしなくても、体と脳が十分に機能している内に、やってみたいこと、自分を生かす場所、自分が自分のままでありのままに大きく息を吸って自信と安心と安定を感じる毎日を送りたい。
元アナウンサーの小林麻耶さんが最近著書を出版されたそうですね。私はまだ購入はしていないのですが、本の出だし部分だけネット上で読みました。
タイトルは『しなくていいがまん』。
もうこのタイトルだけで十分彼女が伝えたいことが伝わって来る気がします。
私も今までどれくらい「しなくていい我慢」を勝手にやっていただろうか、誰からも頼まれていないのに。
今までの私は来るもの拒まず。「どんなことでも人生経験になる」と信じて全てを受け入れてきたけれど、これをやっているといくら心臓があっても足りない。
いつもハラハラドキドキして、緊張と不安と恐れと隣り合わせ。もう疲れました!
私の人生いつまで続くかわからないけれど、もうこれからは全て受け身でいる事はやめます。これからは、利用される側ではなくて、利用する側に回りたい。
強気で生きる!
もともと不出来な私だけど
私はもともと頭が良いわけではないと思う。
勉強は好きだが、ついいつも脱線してしまうことが多いし、要領は悪いし、飲み込みが遅いのだと思う。だけれども、そんな私だけれどもなぜだか勉強は好きなのだ。
要領が良い人や計画的で効率的に動ける人であれば、きっともっと早く到達できるようなレベルのことでも、私の場合には、ゆっくりと自分のペースできちんと理解できるまで勉強しないと飲み込めないし、記憶できない。
こんな風に、要領は悪く、効率的でもなく、計画も立てれない私だけれども、勉強は好きなのだ。我ながら健気だなぁ、そういうところは憎めないな、と思う。
最近になってようやく自分の要領の悪さや、鈍感でのろまな個性を自覚するようになった。
私は兄弟の中でも一番偏差値の低い大学へ行った。妹でさえ、私よりも良い大学に行った。
私はずっと頭は悪い方ではないと思ってきた。むしろ頭の良い方の人間だと思っていた、というか、思いたかったのかもしれない。
自分の頭の悪さ、要領の悪さ、記憶力や理解力が優れていないことが世間にバレないように、それらを隠す目的で必死に勉強をしてきたのかもしれない。何かを学んでいないと、自分には何も価値がないような、誰からも評価されないような気分になってしまう気がする。
何かを発信してないと、何かを勉強していることをアピールしておかないと、何も飛び抜けた個性がない、ただ一般の普通の人に見られてしまうことを恐れていたのかもしれない。
要は、私は自分に自信がないのだ。
特にこれといって、飛び抜けて美人でもなく、子供の頃からずっと太めの体型で、人と差がつく際立つような性格でもなく、頭も良くもなく悪くもなく。
そんな実は平凡で目立たない自分の個性を認めたり受け入れたりしたくなくて、必死で勉強や、ブログやSNSで発信することでぼかしてきたのかもしれない。
そんなことに気づき始めたら、「別に目立たなくたって、平々凡々の普通の一般的な人でもいいじゃないか。世の中のほとんどの人がそんな風だ。自分もその一人だと認めよう」、そのようにふと思うようになってきた。
本当につい最近まで、ネットやステージに立っている人気のある人達を見て、「すごいな、あの人達も元々一般人だったのだから、自分にも今からでも飛躍できるチャンスはあるはず」と思ったり、ブログから起業してお金をたくさん稼げている人などを見て、「自分も近づけないかな。私自身が飛躍的に稼げるようになるためには?」などと大して優れた頭でもないのに考えていた。
ある意味、単純で子供じみた考えで現実味に欠けている妄想の中で生きているような人間が私という人間だ。
そんなことがわかってきた私だが、それでも、元々不出来な私だけど、可愛いところというか救いとなるのが、それでもまだなんとか頑張ろうとする健気な態度と、ひたむきに自分なりに努力して学び続けるところだと思う。
バカはバカなりに、いつもいつも一生懸命に取り組み続けた努力がいつか必ず身になって豊かな毎日が送れますように。
神を自己流に、自分が望むことだけに利用してはいけないとはいうけれど、それでもつい私は願ってしまう。「いつか私の願いが叶って、全ての苦労、挫折、困難、努力が報われますように」と。
自我をくじく
私には「自我を挫く(くじく)」ことが必要。
私は自我が強い。考えてみると今までの人生と今現在も自我=エゴばかりだ。
「自分が好きな仕事がしたい」と言って始めた仕事。「私が楽しくなくちゃ!」「無理をする仕事はしたくない」など、考えてみたらエゴでわがままな考えばかりだ。
私はアルコール依存症の夫を持つことから、夫のことでものすごく悩み、もがき苦しみ、イライラ怒り恨み、「なぜこんな人と結婚してしまったのだ」と悔しさと悲運に見える自分の人生を嘆き悲しみ、そういった経緯からとあるアルコール依存症者が集まる自助グループに参加した。
その場所で、アルコール依存症者本人から「アルコール依存の本人が集まる会に来るのもいいですが、ご家族の方が集まる会もありますよ」と紹介された。
そうして私は、アルコール依存症の家族が集まる自助グループに通うことになった。
夫と別居した理由(1)
昨晩夫と話していました。
すると夫は「君がお金がないのは、自分が好きなことにお金を使っているからだろ?金がないなら働きに出ろ」と言われました。
私はショックでした。
私は4年前から自営業をしています。
仕事の内容は女性向けのリラクゼーションサロンです。
開業することを決意した理由は、今思うとその当時、私の人生も頭の中が混乱していて、それから先の未来に対する不安と「どうにかしなくちゃ!」という焦りからでした。
年老いた両親が住む実家で、いい歳した大人がいつまでも居候になり無職でいることに罪悪感を感じていたのもあります。
私は夫と結婚してからずっと結婚生活がうまくいっていなく、今から約6年ほど前のある日、「このままこの人と暮らしていたら私は頭がおかしくなって狂ってしまう!」と自分自身に危機感を感じて、その翌日に家を出ました。できる限りの荷物を古くなった軽自動車に詰め込み、私は実家に転がり込むようにして逃げ込みました。
その当時の私は日本の古い大きな会社の会社員でした。大学卒業から十数年勤め続けていて、毎月のお給料は大きな金額ではなかったですが、福利厚生やボーナスがしっかりして安定した経済状態でした。
実家に逃げ込んだ私は、自分の人生が惨めで悔しくて夫への怒りや恨みもあり、あらゆる感情でぐちゃぐちゃで泣き叫ぶようにして両親とその当時一緒に暮らしていた妹に、私が家を飛び出してきた理由を訴えました。
「M(夫)は結婚記念日の旅行の間ずっとお酒を飲んでいて、旅行中のある晩、Mがバーを離れないものだから、私は極寒の中一人でホテルに帰って行った。惨めで悲しかった。マイナス26度の冬の北海道の夜に、女性を一人外で歩かせて平気な夫。悔しい」という話や、「Mはお酒を飲むと性格が悪くなって私に暴言を吐く」、「もう付き合いきれない」など、夫とは離婚する決意で皆に話しました。
母や父、妹もみんな「それはだめだ。そんな状態なら別れた方がいい。もうやめろ」と味方になってくれました。特に私がびっくりしたのは妹が「結局さ、みんな自分が一番可愛いんでしょ。自分が一番大事だよ」と、「自分の人生を最優先に考えろ」というような彼女の考えを言ったことでした。
私にはこれが衝撃的でした。「自分が一番可愛い?自分が大事?そんなふうに思えないよ」と私は泣き叫びました。「そう考えられたらどんなに楽か。そう思えないから苦しいんだよ」と言いました。
彼女の一言で、世間一般の人は自分の人生を最優先、自分のやりたいことを一番大事にしているのだということに気づかされました。
そう、私は子供の時からずっとそのように考えられなかったのです。
いつも親の顔色や周りの友達に気を使っていて、「嫌われないように、変な子だと思われないように。お母さんに”面倒そうな顔”をされないように、困らせないように」と自分をめんどくさくない人にすることに気を配っていました。
なので、いつも周りとは違う意見は言えず、アルコール依存症の夫のやることや計画に全て合わせ、大きな嵐の中なんとか毎日を無事に終わらせることだけに力を使い果たしているような毎日でした。
今回は長くなりましたので、続きはまた次回に。
バカはバカなりに
はじめまして、モカと申します。
埼玉県に住む40代の女性です。
こちらのブログでは、自分のありのままの姿と日々考えていることや感じたことを書いていきたいと思ってます。
名前を明かさず、飾らず、嘘をつかず、素直な気持ちを書いていきます。
今まで40年間必死に生きてきましたが、近年になってようやく自分がどういう人間であるのかが少しづつわかり始めてきました。
日々、落ち込んだり、舞い上がったり、調子に乗ったり、そしてまた落ち込んだりしていますが、私の永遠の願いは「幸せになりたい」。ただそれだけです。
「幸せになりたい」
ただシンプルな願いなのに、私にはいつも難しいです。
何をやっても効率が悪くて、自分で痛い目にとことん合わないと気づけない愚か者ですが、それでもいつかは自分に「全てOK!」が出せて、不完全だけれでもいつも一生懸命で努力しか知らない人間を認めて受け入れて自信が持てるようになりたい。
そして、賢くはなくても、頭は良くなくても、私にしかない特技や個性を生かして豊かで幸せな人生を送りたい。
こちらのブログでは本名は明かさず匿名で、自分が思ったこと感じたことを臆せず話していきたいです。
よろしくお願いします。